集団安全保障の仕組み 2

第二のポイントは、連盟の規約では、法破り、ルール違反をした国家に対する制裁の実施を担保するだけの実効性ある規定がなかった、ということです。


当時のアメリカの指導者の念頭には、これをなんとかしなければいけないという気持ちが強くあったというのです。


第三のポイントは、私たち日本人が深く考える必要があることなのですが、ナチス・ドイツや日本軍国主義の台頭を許したのは、民主主義諸国が警戒感をゆるめて一方的に軍縮してしまったことにある。


だから軍縮というのは、必ずしも国際平和と安全を確保するうえで無条件に正当化されるものではない。


むしろ軍縮は全体の国際環境・状況のなかでの位置づけが必要である。


・・・したがって、戦後の国際関係において重要な役割を営むことが予定されていた国連は、にらみを利かせるに足るだけの実力を持たなければいけないという思想であります。


そういうことから出てくる第四のポイントは、国連は必要な場合に備えて制裁措置を持つ必要があるということなのです。


これが、集団安全保障という考え方につながってきます。

集団安全保障の仕組み

私たちが憲章に接するときは、原則性と柔軟性を併せ持って臨む必要があることが理解されるのではないでしょうか。


さて、国連の活動のもっとも中心的なものは、いうまでもなく、国際の平和と安全を維持するための機能です。


・・・ここではまず、全体としての仕組みについて理解を深めるために、国連創設に中心的役割を果たしたアメリカがどういう構想を持っていたか・・・


そしてその構想は現実の憲章の規定が生まれるなかでどのように生かされたかという点を見ておきましょう。


ある研究者の分析の結果を借りますと、当時のアメリカの認識は、だいたい4つのポイントがあったといわれます。


まず最初のポイントは、第二次世界大戦が終ってからの世界の軍事力は、ひと握りの大国の手に集中するであろうという認識があったということです。


したがってアメリカとしては、そういう現実から出発したのだということです。


国連のはじまり 2

5大国のなかで、積極的に決議に賛成するわけではないが、しかし強いて反対する気持ちもないような場合があるということになって、実際の慣行の積み重ねを通じて、棄権してもいいということになったのです。


・・・日本の憲法も、硬質憲法といわれるぐらいに、改正が行いにくい仕組みになっています。


そのために、「自衛隊は軍隊ではないから違憲の存在ではない」というような、およそ国際的に通用しないいわゆる「解釈改憲」みたいなことがまかり通るようになりました。


それと似たような現象が国連憲章の場合にもあるのです。


・・・というのは、憲章の第18章にはその改正の手続きを定めていますが、それによりますと、憲章の改正は「(加盟)国の3分の2の多数で採択され、且つ、安全保障理事会のすべての常任理事国を含む国際連合加盟国の3分の2によって各自の憲法上の手続に従って批准された時に」効力が生まれることになっています(第108条)。


・・・こうして、もともと解釈の幅が大きく、また、改正が難しいので便法を講じて抜け道を捜し出す必要も多い、というような事情が憲章については常に起こっているのです。

国連のはじまり

重大な問題について、安全保障理事会が大国間の対立で機能できないとき・・・


総会が勧告する権限のあることが認められているのですが、これなどは、第12条1項の関係規定などを見る限りでは、果たして総会にそのような権限を認める趣旨なのか、かなり議論の余地があるところです。


湾岸戦争に際して学者レベルで問題になったのは、安保理常任理事国が棄権したとき、決議は有効に成立するかということでした。


とくにアメリカなどのいわゆる多国籍軍のイラクに対する軍事作戦行動の根拠となった安保理決議678号(90年11月29日採択)に中国が棄権したことに関して・・・


リチャード・フォークという学者が、「安全保障理事会の決定は、常任理事国の同意投票を含む9理事国の賛成投票によって行われる」(第27条3項)とある以上、この決議は有効に成立していないはずだと主張しました。


このフォークの主張は、条文解釈としては正しいものです。


常任理事国の間でも、国連創設当初の理解はそうでした。


・・・つまり、常任理事国全員が積極的に賛成しなければ、決議は有効に成立しないということです。


日本が円建て輸出ができないのはなぜか 3

円の国際通貨性どころか、鎖国主義そのものの中に閉じ込めてきたのです。


・・・以上のようなことが、円の国際通貨としての機能を欠陥せしめてきた原因の一つでした。


したがって、為替変動のリスクを減らすために、円決済での輸出を増していくには、円の国際通貨性を高めることが大きな要件になるのです。


また通貨に関するリスクを避けるためには、日本は、輸出相手国をもっと多様化し、量的にもバランスをとることが必要なのです。


日本の輸出量の4割近くがアメリカです。うなかたよったあり方は問題なのです。


なぜならアメリカへの輸出は、ドル建てにならざるを得ないために、円とドルの為替変動によるリスクもそれだけ大きくならざるを得ないからである現実のビジネスでは、輸出業者と輸入業者が、応分のリスク負担をしていますが)。


輸出が特定の国にかたよりがあるのは、貿易立国日本にとって安全保障上、よろしくないのです。


・・・これは通貨の面でも同じであって、そのリスクを小さくするためにも、輸出は特定の国にかたよることなく、多くの国に分散していた方がベターなのです。


さもなければ、西ドイツのマルクのように、日本も円の国際通貨としての地位を高め、他国の通貨に依るところを少なくし、円建て輸出を増やしていくべきでしょう。

日本が円建て輸出ができないのはなぜか 2

「マルクははじめは弱い通貨でしたが、次第にその競争の中で国際的に重要な通貨に成長していったのです」


副総裁が指摘した3点を日本との比較において検べると次のようになるでしょう。


第一の点、戦後すぐの通貨改革では、西ドイツはインフレを完全に封じ込め、以降国民の消費生活にウエイトをおいた物価を中心にした経済政策を展開し、国民に通貨の信頼性を与えて来ました。


それに対し、日本はインフレを克服できなかったため、円を信頼できる通貨になかなかできなかったし、その結果、物価も蔑ろにされてきたのです。


第二の点、西ドイツは、貿易赤字国から黒字国になった時点(1952年)で、いろいろな自由化を進める一方、外貨の黒字から国内にインフレーションの生じる恐れがでてくるとそれを防ぐために、ドイツ・マルクの切り上げ(第一次マルク切り上げは1961年)など積極的に自らの意志で外貨政策を推し進めてきました。


それに対して、赤字国から黒字国に定着した1960年代半ばごろの日本が取っていた行動は、依然として赤字国そのもの。


外貨(具体的にはドル)を後生大事にするというだけの、赤字国精神の遺産である国為替管理法が、世界の動きと逆向きに幅を利かせていたのでした。


・・・ましてや世界を意識下に入れた通貨政策など存在するはずはなかったのです。


第三の点、日本・西ドイツとは違って、円を国際通貨との競争にさらす勇気などは、さらさら持てなかったのです。


アメリカ、ヨーロッパ諸国からの自由化・規制緩和など要求にもかかわらず、日本の当局は、金融・資本の自由化をひたすら遅らせ、金融機関を幼な子のごとく保護・監督・規制してきたのでした。

日本が円建て輸出ができないのはなぜか

一国だけの通貨に依存することは、通貨面でも危険率が高いことが1985年秋以降のドル相場の動きで実証されました。


輸出入に伴って支払い決済も通貨面においても、分散することが必要です。


西ドイツが輸出決済の80パーセントを自国通貨で行っているのに対し、日本は円建てはわずか35パーセントにすぎない・・・。


この事実は、マルクが円よりも国際性が高い、すなわち、通貨として世界から信用されているという証です。


がしかし、世界ナンバー・ツーの経済大国である日本は、なぜ、西ドイツができるのに、できないのでしょうか?


あるいはできなかったのでしょう。


・・・この問いに対1しては、西ドイツ連邦銀行ヘルムート副総裁がNHK取材班のインタビューの中で、国際通貨としてのマルクについて言及したくだりがすべてを説明していると思われます。


「ドイツマルクが国際通貨として通用するに至った理由として、3つの重要な点をあげることができると思います。


まず、1948年に誕生した新ドイツマルクを信頼できる安定したものにできたことです。


第二の点は、西ドイツが貿易赤字国から黒字国に転じたということです。


そして第三の点は、この点が恐らく最も重要なのですが、わたしたちが早い時期にドイツマルクを強力な国際通貨であったドルや英国ポンドとの競争にさらす勇気を持っていたという点です。」


自国通貨への自信 2

「輸出に伴う危険を少しでもなくそうとすれば、自分の国の通貨を信頼するのがいちばんです」


・・・と社長は沈着冷静に取材班に話してくれました。


氏は、自国通貨に絶大の信頼をおいています。


このことは、とりも直さず、国自体の通貨政策(通貨の安定すなわち物価の安定)が信頼されていることの何よりもの証拠なのです。


・・・輸出に伴う危険性は、氏がいう政治的なものだけでなく、当然、経済的側面にもあります。


日本の輸出企業は、1985年9月以来円高ドル安(というよりむしろ全通貨に対するドル安という表現の方がふさわしいが)が生み出す為替差損というリスクを西ドイツのそれよりも大幅に負ってきたのです。


それは日本の輸出決済が、西ドイツよりも5倍以上の比率で、ドルによってされてきたからです。


日本の企業が、西ドイツなみにドルによる輸出決済を9・5パーセント(この決済額比率は、西ドイツのアメリカへの輸出額比率10・3パーセントとほぼ同じ)程度で行っているなら、そのリスクも6分の1ぐらいになっていたでしょう。


あるいは円建てによる決済の割合を高めていたならば、その危険性はより分散されていたでしょう。


・・・極端ないい方をすれば、自国通貨・マルクを絶対的に信頼する西ドイツ。


そして、自国通貨・円よりも、他国通貨・ドルに相対的に依存する日本、といえるのではないでしょうか。

自国通貨への自信

ドルは日本および西ドイツにとっては他国通貨です。


ところが日本の場合、輸出代金の54・3パーセント(1986年)はドルで受け取っているのに対し、西ドイツの場合は、わずか9・5パーセントです。


なぜ同じ輸出というパフォーマンス(行為)をしながら、結果でこうも違ってくるのでしょうか?


この疑問に対する一番わかり易い解答は、西ドイツMWB社の社長が、NHK取材班のインタビューに答えた内容です。


「製品を輸出しようとしますと、輸出相手国数だけ通貨があります。


わが社は取り引きで特定の国だけに依存していることはありませんし、ECが最大の得意先なんですね。


その場合にも、代金決済は自国通貨・・・ドイツマルクでということになります。


マルク建てで輸出を行うもう一つの理由は、その方が安全だからです。


そもそも輸出には危険がつきものです。


政治に左右される場合もあります。」

荒地を沃野に変えるもの 3

朝まだ暗い4時に起きて乳搾りを手伝い、2マイル歩いて一教室しかない学校に通い、午後戻ってからも雑用を手伝っていました。


もし放課後友達と遊びほうけて帰りが遅れれば、父親は容赦なく彼を叱りました。


この子は家ではなくてはならない存在でした。


夏に時たま灌概用水路で一泳ぎするとか、日曜学校で賛美歌を歌ったりお祈りをするとか、夜母親の弾くピアノに合わせて歌ったりするほかは、彼は幼年時代をその後の歳月と同様に仕事に明け暮れて過ごしたのです。


日常の仕事の合間の気晴らしは狩猟でした。


この土地に来た時から、シンプロット一家は食糧のかなりの部分を狩猟や魚釣りでまかなっていました。


父親は幼い頃からジャックに銃の扱い方をしっかりと教えこんでいます。


少年が幼い頃最も熱中した楽しみは花 種の園芸農園のまわりやスネーク川のほとりでカモやワタオウサギを撃つことでした。


後年さらに奥深い山中でヘラジカやその他の大型の獲物を追い、今も語り草として伝えられる狩猟の達人となりました。


しかし、チャールズ・リチャード・シンプロットは、いつしかこの過酷な農場の生活にうんざりして、アイダホの平野を去る決心をしました。


シンプロット家はジャック、マートル、ペギー、そして弟のボブと、4人の子供を抱える家族になっていました。